中学生ライターが行く~我らの母校の謎に迫る~@陵南中学校

こんにちは!
たなひなひよこwithさっきーです。
今回、中学2年生の職場体験で陵南中学校の学生さん2人がさかにゅーのライター体験に来てくれました。
しかも!
陵南中学校は、さっきーの母校でもあるんです!
なんだか嬉しい★
ということで、たなひなとひよこが興味関心のある事柄について、さっきーも一緒に深堀りしました。

最初に…
陵南中学校は堺市北区の百舌鳥地区にあります。百舌鳥小学校と西百舌鳥小学校の2校が校区となっており、ふとん太鼓の月見祭で有名な百舌鳥八幡宮もあります。

以下、ライター初体験の中学生ライターの取材をお楽しみください!(たまにさっきーのつぶやきが入ります。ご了承ください)

*********

今回は職場体験でライターとして初挑戦してみました。

毎日通っている学校。
「あれ何かな?」「なんでだろう?」と何気に不思議に思っていたこと。その中で下記3つの謎について取材をしてみることにしました。

1.陵南のシンボルツリーの謎。なぜあんなに【ヤシの木】がいっぱいあるの?

2.陵南のbefore after~資料をもとに今と昔を比べてみました~

3.陵南の石碑と渡り廊下について


~陵南のシンボルツリー 【ヤシの木】~

2017年11月16日現在の姿(剪定後) 西村門側のヤシの木

陵南中学校といえば、歴史と共に成長し続けているシンボルツリー【ヤシの木】。

卒業生に限らず、通りがかったことのある方は「なぜこの学校にはヤシの木があるのだろう?」と思ったことはないですか?
私たちも入学した時に、なぜ【ヤシの木】が植えられたのか不思議に思っていました。
そもそも学校に【ヤシの木】がある学校も見たことありませんよね?

今回は、この謎を探るべく、校長先生はじめ色々な先生に取材させていただき、また過去の写真や資料を見てみました。
今まで素通りしている校内にも何かヒントがあるのではないかと注意深く見て回りました。

西百舌鳥小学校側の「高田門」から入り坂沿いにある壁画。34期生(1983年)の卒業制作を発見

今から34年前の西村門からの景色。ヤシの木の大きさの感じがわかります

―ヤシの木の謎を紐解く
ヤシの木は昭和36年(1961年)に植えられたそうです。
ということは、現在樹齢56年。

昭和36年旧校舎(現在の堺市立支援学校の場所に陵南中学校の前身、堺市立第八中学校の頃)

昭和36年(現在の陵南中学校の場所。この写真は大阪府立大学教育学部の校舎であった。この場所に陵南中学校として移転することになった)

ちょうど、新校舎を建てる時に植えられていました。
日本一豊かな中学校を目指すために、ヤシの木が植えられたといわれています。
当時100本程植えられていましたが、現在は30本程になっています。

正門入って右手にある石碑

当時の願いは、昭和57年(1982年)に大阪府から「花と緑いっぱいの学校」として表彰され願いが叶っています。
現在は、なんと校舎よりはるかに高く、まっすぐ成長し続けています。
台風の際に、周辺へ被害がでないように、最近では定期的に剪定を行い今はこの姿。
ですが、頭にはきれいな新芽が芽吹いています。
歴代の教職員との話し合いで、伐採する話も何度か出たようですが、学校の歴史と共に、シンボルツリーの【ヤシの木】は陵南中学生を何年も見届け共に真っすぐ成長している姿に、校内のヤシの木の本数は減少しつつも陵南中学の周辺のヤシの木たちは今の私たちの姿も見守ってくれていることを知りました。

ヤシの木には、こんな歴史があったのだとヤシの木に誇りを感じました。

~陵南のbefore after~

陵南中学校は今年で71周年を迎え、歴史の深い中学校です。そこで、昔と今を比べてみました。

①正門

before

after  現在の正門

平成27年(2015年)に歩道拡張するために正門の位置を変更。
正門の門柱は昭和53年(1979)に建てられたものを掘り起こし移動。

昔は、入学式に正門横の桜の木で写真を撮った人も多いのではないでしょうか?現在は伐採して桜の木がないのが少し寂しいです。(by.さっきー)

②体育館

before

after  平成4年(1992 年)に現在の体育館が完成

場所も移動して、今は北館と中館の間にあります。

 

③土俵?

玄関の入り口付近にある現在の見取り図

うっすらと「土俵」という文字が見えます。
土俵???

校長室に伺い、過去の資料を見せてもらうことにしました。

before 確かに養神館(柔道場)の横に土俵があります。

after

現在は、教員用の自転車置き場となっています。
どのタイミングで土俵ができて無くなったのか、今回の取材では調べ切ることができませんでした。70周年の記念誌によると平成8年(1996年)には相撲場改修及び入魂式とあります。50周年の時には存在していたということはわかりました。

在学生である私たちには、驚きでした。昔は、相撲部もあったみたいです!(さっきーの在学中には相撲部まだありました…20数年前)
まだまだ変化はいっぱいありそうです!
今回は三か所だけ昔と今を比べてみましたが、「へ~!!」がいっぱいでした。
貴重な機会に少しだけですが、歴史を感じることができました。

 

~石碑と渡り廊下~

①石碑

陵南中学校には様々な石碑がありますが、特に気になった2つを調べてみました。

1つ目は、この石碑です。


えっ?! どこに石碑があるの??
正門入って真正面にあります。
近づいてみると・・・・                 

この石碑は昭和61年(1987)の卒業生のタイムカプセルです。2047年に掘りおこされます。
現在46歳の卒業生です。30年後が楽しみですね!

 

2つ目はこの石碑

                   

陵南中学校には石碑がたくさんあります。
その中でも最も小さな石碑です。
西村門から入って5本目のヤシの木の根元にあります。
なぜがこの石碑は小高い丘の上にあり、1本のヤシの木と共にフェンスで囲われています。フェンスの中に入り、近づくことも可能です。

なぜこの石碑だけフェンスに囲われているのか、先生方にも取材してみましたがナゾは解けませんでした。
ただ、校長室に伺い、いくつかの資料を拝見し興味深い資料を見つけることができました。

この石碑は昭和54年(1979)に大西次夫氏からの寄贈によるもので、当時はこの石をなでながら反省した生徒もいたらしいとのこと。

さっきー自身、在学中に石碑に関心を寄せることもなく、この石碑に気付くこともありませんでした^^;
今回、たなひな&ひよこと共に取材してみて、さっきーなりに調べ、解釈してみました。

」という形はシンプルな漢字。
しかし、考えれば考える程、とても深く・難しい漢字。

語源は、心臓の形にかたどり、人間の理性・知識・感情・意思などの動きの基となると考えられるもの。気持ち。感情。精神。(引用http://gogen-allguide.com/ko/kokoro.html)
「心」の使った日本語はたくさんあります。
この石碑には、どのような思いが込められているのか理由は刻まれておらず、また込められた思いを綴った資料もなくわかりませんでしたが、それぞれが感じる「心」に込められた意味を個人の心に刻めば良いと思います。
他人(友・先生・親・兄弟)に対しての思いやりの「心」、自身の心に問う「心」を大切にして欲しいとの意味が込められているのではないかと思いました。

石碑は、人生の先輩方の願いや思い、教えが刻まれています。大切に残していきたいですね。

 

②渡り廊下

西村門から入って左手になんだか古い「何か」があります。

気になってはいましたが、何か分からず今回調べてみることにしました。

「温故知新」という言葉と共に何やらこれが何なのかが書かれています。ほとんど消えており全文は分かりませんが
旧校舎の渡り廊下」の文字が見えました。

校長室の資料(50周年記念誌)より

元はどのような廊下だったのでしょうか?
これかな??と思われる写真を資料から見つけました。瓦屋根の感じが同じです。
これだとするとこの写真にはヤシの木がたくさんあるので昭和36年以降、つまり第八中学校の頃ではなく、陵南中学校初期の頃に存在した渡り廊下ということになります。

何気に過ごしている校内の石碑や建物などにはたくさんの歴史が詰まっているのを知り、感動しました。

~まとめ~

陵南中学校ではたくさんの歴史が刻まれているのでこれからも誇りをもって学校生活を過ごしていきたいです。

>>おまけ>>

 

<さっきーの取材後記>

たなひな&ひよこと一緒に取材をして、改めて感動と発見がいっぱいでした。
今回は、偶然にも母校の在学生が職場体験ということで共に母校を深堀することができました。今回取材できたのは、ごく一部にすぎません。

最後に1つ。
私が今回の取材で興味深かった城の山の謎を少しご紹介。
堺は歴史と深い関わりのある街です。
百舌鳥には古墳群があり、現陵南中学校の校庭付近にも集落があったと聞きました。改修工事の度に、土器などが出てきたりもしていました。

陵南中学校の校歌には「城の山」という名称が出てきます。。
現在、地図上に存在する「城の山(定の山古墳)」は百舌鳥小学校を越えて東側にあり、少し離れています。なのにどうして中学校の校歌で歌われているのか?

下記の地図を見比べてください。

☆現陵南中学校 古墳分布図では、陵南中学校の横、城の山古墳は百舌鳥御廟山古墳の下(ほぼ南)に位置している

現在の校区内地図 御廟山古墳の下(ほぼ南)に古墳がない 離れたところに城の山公園(定の山古墳)がある

今、存在している城の山公園と校歌の城の山は関係なく、
かつて小高い丘の様にあったとされる、今は存在しない城の山古墳と深く関りがあるとのこと。
ほぼ城の山古墳の場所に陵南中学校は位置しています。

何も考えずに歌っていた(歌っている)校歌にも歴史が刻まれていたことに感動しました。
このことを教えてくださった現音楽の先生にとても感謝します。

 

さて、ここまで読んでくださりありがとうございました。
今回は陵南中学校でしたが、みなさんの母校にも必ず歴史があります。

各学校の歴史を紐解けば、もしかすると色々なところで繋がり堺の歴史として新たな発見ができるかもしれません。
皆さんも在学校・卒業校に興味関心を向けてみてはいかがでしょうか?

 

さかマガ12月号発行中
さかマガ12月号発行中