冬至にまつわる小話 その1「とんど」

「冬至」は、一年で最も夜が長い日です。
この「夜が一番長い日」の存在を、世界中の色んな民族が随分昔から気づいていて、冬至を意識した遺跡や宗教行事が古代からありました。イギリスの巨石遺跡ストーンヘンジは、夏至の日に太陽が昇る方向、冬至の日に太陽が沈む方向に伸びる道が作られていたことがわかっています。この道はなんらかの宗教行事に使われていたのではないかと推測されます。

そして世界で最も有名な冬至に関係する行事といえばクリスマスでしょう。現在ではイエス・キリストの誕生日として知られるようになったクリスマスですが、もともとイエス・キリストの誕生日がいつだったかは定かではなく、キリスト教が伝播していく過程でライバルだった太陽神を信仰するミトラ教やゲルマン民族が行っていた冬至の祭りに聖誕祭をあてたのが発端だったようです。

ミトラ教やゲルマン民族の冬至の祭りは、一番夜が長い冬至を過ぎると日差しは日ごとに長くなっていくことから、太陽が再生する日としてそれを祝ったお祭りだったと考えられます。

えらく前置きが長くなりましたが、編集長(ふ)が空想の翼を広げつつ堺に関するあれこれを書くコラム。堺では何か冬至に関する伝統行事のようなものはあるのでしょうか? というのが今回のお題です。

調べてみた限りですが堺に「冬至のお祭りです!」と銘打っているお祭りなどはどうもなさそうです。
じゃあ、日本で「冬至」ってどんな位置づけと資料をごそごそ探っていると、民俗学者吉野裕子さんの著書に「冬至」に関する話が出てきました。

冬至は旧暦だと11月の霜月にあたるのですが、十二支でいうと子月(ねのつき)になります。
「「子」は「鼠」であるが、「鼠」とだけ理解していては、「子月」の持つ意味がわからない。「子」は「孳(ふえ)る」の意味で生命の増殖を示す。」(『陰陽五行と日本の民俗』より)
次の12月の師走も十二支では丑月(うしつき)で、丑は紐のことで、「萌芽が種子の中で、からんでいる様をあらわしている」(同上)のであり、「前月の「子」は「孳(ふえ)る」で、新しい生命が種子の内に萌し始める状態であったが、それが既にからむようになったというのである」(同上)。
つまり、ミトラ教とやゲルマン民族同様、古来の日本人においても、冬至を境にして生命力が増加していくのが、このシーズンのイメージなのです。天文学にそれほど詳しくなかったゲルマン民族も、ざっくりこの時期ぐらいにミールを行ったみたいだし、これはちょっくら範囲を拡大しても、大筋を離れることにはなりますまい。

では、ちょっと幅を広げてこの時期のお祭りを探してみると、堺で毎年12月14日に開催されるお祭りがありました。
それは、泉州の奇祭と呼ばれる石津太神社(いわつたじんじゃ)の『やっさいほっさい』です。この祭りは、くみ上げたとんどを火にかけ、倒れた方向で吉凶を占い、「やっさいほっさい」の掛け声とともに火渡りをする神事です。これは、海に流された蛭子命(ひるこのみこと)=エビス神が石津の浜にたどり着き、その冷え切った神の身体を石津の民が108束の藁束を燃やして温めたという伝説に由来しています。

ここでこの神事の重要な要素である「とんど」について注目してみました。とんどは、『陰陽五行と日本の民俗』でも、12月の行事として取り上げられていますが、さてそもそも「とんど」ってなんなのでしょうか?

 

 

「とんど」あるいは「どんと」「どんど」は、地域によって呼称も違えば、行われる時期にもずれがあるのですが、大凡この時期に行われているようです。発祥は出雲地方らしく、吉野裕子さんの別の著作『日本古代呪術』の中に、出雲地方の「トンド」についての言及があります。

「トンドは「さぎちょう」ともいわれ「左義長」の字が宛てられている。(中略)「さぎちょう」は女の胎の造型であって、歳神はこの中に胎児としてこもり、火に乗って一挙に常世に送り出されるのである。胎児出来の前提となるものは性交であるから、疑似母胎の「さぎちょう」には陰陽物が必ず取附けられるはずである」(『日本古代呪術』)
ようするに、とんどとは疑似子宮であり、そこにはシンボルとして男女の疑似性器があるはずだと言うのです。出雲の「さぎちょう」では、陽物(男性)として「扇」、陰物(女性)として「菱形」の組み合わせが用いられているそうです。
「やっさいほっさい」のとんどの形をじっと見ていると、頂上に紙垂(稲妻型に切られた白い紙)を飾った竹筒はいかにも陽物ですし、とんどを最初に組むのが菱形からはじまっているのも陰物っぽい?(これは強引な気もしますが)

 

「とんど」組み立ての最初の第一歩は、ここから。菱形っぽい?っていうのは、さすがに無理矢理感がありますかね。ちなみにひな祭りで菱餅を食べるように、菱形=女性自身のシンボルです。

 

「やっさいほっさい」で重要な役割を果たしているとんどは疑似母胎であり、生命力が底をついてから復活する時期に祭が行われるのは、再生の呪術という意味が込められているのではないか? というのが今回のお話でした。ちゃんと民俗学をされている方からはお叱りを受けてしまうかもしれませんがひとつの空想だとご容赦を。そして、とんどについて調べているうちに、更に空想の翼を広げてみたくなってきました。それは蛭子命という存在です。

とはいえ、随分長くなってきましたので、稿を改めることにします。よろしければ「冬至にまつわる小話 その2「蛭子命」」にお付き合いください。

さかマガ5月号 4/20発行!!
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