【ぶらっと堺をあるこう!】『ぶらさかい』中区・陶器(とうき)篇3:

堺をぶらり歩きする【ぶらさかい】。第3回も、堺市中区陶器地区からお届けします!!(第1回/第2回)
こんにちは、今やすっかり中区マニアックスな編集長(ふ)です。そして今回も、中区の物知りハカセ・岡村理良さんに案内人をお願いしています。

 

■陶荒田神社に残されたシンボルは?

 

まずは、前回のクイズから。
たくさんの神様が同居している陶荒田神社の屋根瓦には、もともと人間だったある神様のシンボルが刻まれています。さてそれはなんでしょう? というもの。

さっそくカメラを陶荒田神社の屋根に寄せてみましょう

 

何か花のようなものが瓦に刻まれています。
――ハカセ、これは何の花でしょうか?
岡村ハカセ梅の花ですね」
――桜じゃなくて梅。梅の花といえば……? あの学問の神様ですか?
岡村ハカセ「そう、梅の花といえば、天神(てんじん)さまこと、学問の神様・菅原道真(すがわらみちざね)公のシンボルです。陶荒田神社には、天神さまも一緒におまつりされているのです」

平安時代の貴族・菅原道真は、ぬれぎぬで京の都から九州の大宰府(だざいふ)に左遷(させん)され、非業(ひごう)の死をとげます。死後、都の宮殿に落雷があって多くの死者も出たことから、怨霊(おんりょう)を恐れた人々によってまつられ、道真は天神さまになります。
そして京の家の庭にあった梅が、道真のことを追いかけて大宰府にまで飛んでいった「飛梅」の伝説から、梅は天神さまのシンボルとして知られているのです。

岡村ハカセ「ここにも天神さまゆかりのものがありますよ。見てください」
岡村ハカセは、陶荒田神社の手水舎(ちょうずしゃ)の石の手水鉢にをさししめしました。
――『天満宮(てんまんぐう)』とほってありますね。天満宮って天神さまの神社のことですよね。
岡村ハカセ「これも天神信仰が、古くから堺にも広まっていたことの証でしょう」

 

天神さまは、怨霊から、雷よけや冤罪(えんざい)を晴らす神様として信仰されるようになります。そして現代の私たちにとっては、天神さまといえば、やっぱり学問の神様でしょう。これは道真が優れた学者であったためです。大事な試験の前に、地元の天神さまにお参りにいかれた方もいるのではないでしょうか?

▲堺区にある菅原神社。ホタル観賞会でも有名です。

 

※なお堺区の菅原神社の解説によると、日本で最初に相撲(すもう)をとった野見宿禰(のみのすくね)は、土師氏(はじし)の祖先として知られています。堺市中区の土師町土師ですが、その土師氏の子孫に菅原氏がいるそうです。

岡村ハカセ「では、次の場所へ行きましょうか」
――今度はどんな場所ですか?
岡村ハカセ「神様の子孫・大田田根子(おおたたねこ)や貴族・菅原道真の陶荒田神社の次は、武士と縁の深い場所です」
――武士が活躍した時代のものがあるんですね?
岡村ハカセ「はい。次は鎌倉時代(かまくらじだい)のものを見にいきましょう!!」
――鎌倉時代とゆうと、武士が最初に日本の主役になった時代ですね!

 

■つわものどもの夢のあと~陶器城

 

 

岡村ハカセと一緒にやってきたのは、ひろびろとした公園でした。大きな木が木かげをつくり、そのむこうにはすべり台やうんていなどよくある遊具が並んでいます。公園の隣には幼稚園もあって、ほのぼのとしたふんいきです。
――ちょっとハカセ、めっちゃ平和な公園ですよ。武士の字も見えないぐらい関係なさそうですよ。
岡村ハカセ「いまはそうですが、昔はここにお城があったのです」
――え、こんなところにお城が!? 陶器っていうか、堺にお城があったことにびっくりです。
岡村ハカセ「鎌倉時代には公園の奥に『陶器城』(とうきじょう)というお城があったのです。そのあとを見ることが出来るのでいってみましょう」

 

公園の奥には、フェンスがあってそのむこうは林のようになっています。
岡村ハカセ「フェンスの向こうがお城の中心の本丸(ほんまる)跡です。戦国時代になってなおしたようですが、土塁(どるい)がまだ残っています」
――それっぽいものがあるようなないような……。ちょっと木とフェンスがジャマな感じですね。

 

フェンスの脇には、陶器城の説明と地図がのっています。それをみると、この本丸の北西と南東にもお城の敷地があったようです。西側の駐車場や住宅地になっているところ、東側の幼稚園になっているところがそれです。

 

――地図をみると、小学校ぐらいの大きさの小さなお城だったようですね。一体なんという武士が住んでいたのでしょうか?
岡村ハカセ「こちらの解説にものっていますが、陶器氏という一族が住んでいたようです。記録によると鎌倉時代の終わりの1333年に陶器左衛門尉という人が、楠正成(くすのきまさしげ)と戦って敗れ、攻め亡ばされたとされています。
――楠正成といえば、戦争の天才、河内のっていうか、日本の英雄の1人。さすがに陶器左衛門尉さんもかなわなかったんですね。陶器氏も陶器城もここで無くなってしまったのでしょうか?
岡村ハカセ陶器氏はわかりませんが、陶器城はそれから20年後の南北朝時代にも、和泉地方にいる和田(みきた)氏に攻められたという記録があります」
――わりとしょっちゅう戦争してたんですね。ちいさいお城なのに……。
岡村ハカセ「このお城から少し東を、堺から河内長野を通って高野山にまでいく西高野街道が通り、陶器の北を高石、鳳から太子町を経て明日香に至る古代の官道・ちぬ道が交わる交通の要路でした。この道を軍隊が行き来したので、陶器城は小さいながらも街道ににらみをきかすお城だったのでしょう。今でも周辺の地名には、お城があったなごりのような名前がついています。陶器城の南で陶器川の北側にある小角(こかど)小角田(こかんだ)門前(もんぜん)前城(まえんじょ)などの集落名が残っています」
――小角は小さな角と書くんですね。鬼みたいな強い人が住んでいたのかな?
岡村ハカセ「これは古くは小門(こかど)と書いていたようで、陶器城と関係のある地名ではないかと思うのです」

 

▲陶器城の南東にある小角(小門)から陶器川へ下る坂。その先の南へ続く道も丸見えなので、敵兵を迎え撃つには向いてそう。

 

――なるほど、地形的にも陶器川から登ってくる坂の上になりますものね。坂の上あたりに門でもあれば、敵を防ぐことができそうですね。
岡村ハカセ「現代でも、このあたりに小門というお名前の方も住んでいらっしゃいます。きっと縁のある方なのではないかと思います」

記録には残ってはいないようですが、その後戦国時代になっても陶器城はお城として使われていたようです。そして、江戸時代に入っても、少し位置をずらして、やはりお城が作られました。そのお城も、目まぐるしい運命をたどることになります。

 

■浮き沈みの陶器藩

 

江戸時代になって陶器を支配したのは、小出氏陶器藩(とうきはん)でした。
岡村ハカセ陶器藩は、大名として認められるぎりぎりの一万石の収入しかない、小さな藩だったので、お城を作ることはできず、代わりに陣屋(じんや)を作ったのです。その陶器陣屋のあった場所が陶器城があった場所のお隣で、今は東陶器公園になっているところです」
――収入がギリギリっていうのは、大変そうですね。
岡村ハカセ「大変だったので、陶器藩は収入を増やそうとしました。大野とか大野芝と呼ばれていた耕作に適していない土地があって、そこを二代目藩主有棟(ありむね)が大坂の材木商福島屋次郎兵衛(ふくしまやじろべい)に命じて開発させたのです」
――新しい田んぼや畑を作ろうとしたんですね! 陶器藩えらい!
岡村ハカセ「この開発は成功しました。これを喜んだ陶器藩は、福島屋にちなんでその場所を『福田』と名付けました。これが今の堺市中区福田のはじまりです」
――なるほど福島屋さんが作ったから福田だったんですね。毎年豊作になりそうな名前だし、これで収入アップ!! 陶器藩も楽になりましたね。
岡村ハカセ「ところが、この陶器藩はしばらくしてなくなってしまいます」
――え、どうしたんですか?
岡村ハカセ小出氏が4代目で終わってしまったのです。無嗣廃絶(むしはいぜつ)といって、5代目になる跡継ぎがいないということで江戸幕府(えどばくふ)によって藩をつぶされてしまったのです。このころ江戸幕府は、何かあると藩をつぶし、大名を押さえつけて権威を高めようとしていましたのですね」
――なんくせつけられたんですね。がんばってたのに陶器藩かわいそうです。お殿様のいなくなった陶器は、その後どうなったのですか?
岡村ハカセ「その後どうなったのかを知るために、少し移動しましょう」

 


次の場所は、歩いて数分の場所でした。
――岡村ハカセ、どうしてここへ?
岡村ハカセ「ここは丁度、陶器陣屋の裏手にあたります。ここからフェンスに囲まれていた本丸跡の樹が見えるでしょう」
――見えますね。
岡村ハカセ「この陣屋の裏手にある村田医院の御先祖様などが、陶器藩がおとりつぶしになった後、この地を治めた幕府の旗本の代官をつとめていたのだそうです」
――お医者さんが幕府にかわって、陶器を治めていたんですね。
岡村ハカセ「ずっとお医者さんをなさっていたようで、私も子どもの頃からこちらで診てもらっています。私の子どものころは、まだかやぶき屋根でしたが」
――なかなか歴史のあるお家ですね。陶器はその後もずっと、このお家が代官だったのですか?
岡村ハカセ「それが10年ほどなのですよ。というのも、おとりつぶしになった陶器藩なのですが、小出氏の二代目藩主の4男である小出有仍(こいでありより)が、将軍の小姓から昇進して5千石の旗本として陶器藩を再興するのです」
――陶器藩まさかの大逆転!! でも収入が1万石の半分になっちゃいましたね。
岡村ハカセ「それはそうですが、大名だと参勤交代(さんきんこうたい)で江戸と地元をいったりきたりしないといけなかったり、軍備を揃えないといけなくて出費も多かったから、旗本になってかえって楽だったかもしれないですよ」
――あ、そうか。じゃあ旗本になった小出さんは、ずっと陶器で楽しく暮らせていたのですか?
岡村ハカセ「いえ、旗本ですから逆にずっと江戸にいて、陶器は代官に任せていました。この後期陶器藩の代官をされていたのが、兒山(こやま)家です。兒山家は今に続くばかりか、なんと住んでいる古民家のお家を博物館にもしているのです」
――住みながら博物館ですか!! それは見たいです。
岡村ハカセ「その兒山家に行く前に、少し寄り道をしましょう」
――えー寄り道ですか。まっすぐ行かせてくれないんですね。
岡村ハカセ「まぁまぁ、ちゃんと行く理由があるんですよ」

 


――お、ハカセ、こちらも趣のあるお屋敷が並んでいますね。素敵な焼き板と漆喰(しっくい)の壁で映画村か、タイムスリップしたみたいです。サムライとか出てきてもおかしくないですねー。
岡村ハカセ「陶器には、こうした江戸時代から続いているような、昔ながらの大きな古民家が多く残っています」
――大きなお家はみな地主さんだったのでしょうか?
岡村ハカセ「地主をされていたり、商売をされていたところもあるようです。こちらは昔は質屋さんだったかな? 明治時代に入って銀行を経営していたお家もあります」
――銀行まで! 陶器はめちゃ富んでいるじゃないですか!

さて、ここでクイズです。
陶器地区では、地主をしながら商売も手掛けていたお家があったのですが、その中でも地元の人から「だかんしょ」と呼ばれていたお家がありました。それは当時の生活必需品で、扱っていた商品の商標がなまったもののようです。さて、その扱っていた商品とは何でしょうか?

 

さかマガ11月号 10/19発行!!
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