【ぶらっと堺をあるこう!】『ぶらさかい』中区・陶器(とうき)篇4「ミュージアムを作ろう!」:

さかいをぶらーりぶらりと楽しむ【ぶらさかい】。中区にある陶器地区を、地元の物知りハカセ・岡村理良さんとのぶらり歩きも4回目です。これまで陶器の歴史を、日本最大の須恵器製造センターだった古墳時代から、不思議な伝説がある陶荒田神社のできた古代陶器城が戦場となった武士の時代と見てきました。

▲かつて陶器藩のお城ともいえる陶器陣屋があった東陶器公園と、ものしりハカセ・岡村理良さん。

 

江戸時代になると、陶器には小出(こいで)家がおさめる陶器藩(とうきはん)という小さな藩ができます。この小出家は、大名だったのが、お取り潰しされるも旗本(はたもと)として復活するなど波乱の歴史をおくります。

しかし、小出さん家はお殿様として優秀だったのか、陶器でくらす人の中には商売に成功するなどしてお金持ちになる人もあらわれました。陶器地区には、今でも成功した人の大きなお屋敷がまちなみとして残っています。

 

ぶらさかいクイズは、そんな商売をされていたお家のお話から。そのお家は地元の人からは「だかんしょ」と呼ばれていました。それは家の商売で扱っていた商品の商標がなまったものです。はたして扱っていた商品とは何? がクイズの問いです。
――岡村ハカセ、答えはなんでしょうか?
岡村ハカセ「答えはです。陶器で地主をされていた西野家は、河泉銀行という銀行を経営していましたが、油の製造販売もしていました。販売していたの商標が『羅漢(らかん)』でした」
――らかんがなまってだかんしょになったのですねー。羅漢って、仏教の聖者のことですよね。ありがたそうな油ですけど、何の油だったのでしょうか?
岡村ハカセ「おそらくですが、菜種油だったのではないでしょうか? 堺は菜の花畑がたくさんあって菜種油の生産地としても有名でした」

 

岡村ハカセ「さて、今回お邪魔するのは、西野さんと同じく陶器地区の地主で、旗本として復活した陶器藩の代官をつとめた兒山(こやま)です」
――おうちが博物館になっているっていうところですよね!
岡村ハカセ「そうです。兒山家がどんなお家なのか、どうして博物館になったのか。興味ありますよね?」
――あります!
岡村ハカセ「では、それを直接、今の兒山家の皆さんに聞きにいきましょうか」
――ぜひお願いします!!

 

■今に残る江戸時代の大庄屋邸~国の登録有形文化財・兒山家~

 

▲陶器川の流れがだんだんになっている河岸段丘をつくった。向かって左に見えるのが兒山家住宅。

 

川面から草木の生い茂る土手をあがると、綺麗に耕された田畑が広がり、そこから地面を一段あがるとお屋敷があります。それは、長い年月をかけて陶器川が地面をけずりとってできた大地の上に、人のくらしをつみかさねてできあがった風景です。

▲向かって右に兒山家住宅、左はさらに一段高くなって畑があります。

兒山「藩主とにた名前なのをえんりょして、小山兒山と改名し、さいしょは大庄屋(おおしょうや)をつとめていました」

 

 

兒山家は、陶器川の流れを見下ろす土手の上にありました。庭の巨木が白壁と対面の土手に挟まれた道に影を落とし、緑のトンネルを作っています。
まるでお寺のような大きな門をくぐると、広い庭がありそのむこうにアーケードのようにはりだした軒(のき)のある和のお屋敷がありました。そこで迎えてくれたのが、兒山万珠代(こやまますよ)さんと妹の松尾亨子(まつおきょうこ)さんでした。

 

▲妹の松尾亨子さん(左)と姉の兒山万珠代さん(右)。

 

――兒山(こやま)という名前の字が珍しくて不思議ですね。
兒山「もともとは小山(おやま)と言っていました。慶長年間(1596年~1615年)に今の栃木県から陶器に移り住んだようです」
――丁度、豊臣政権から徳川政権にかわって、江戸時代がはじまるころですね。
兒山陶器藩の藩主になったのは小出(こいで)家で、名前がにてますよね」
――あ、確かに。小山と小出。山が一個少ないだけや!!

 

 

小出家の陶器藩は4代目でおとりつぶしの憂き目にあいますが、のちに旗本(はたもと)としキセキの復活をとげます。大名は地元と江戸をいったりきたりするのですが、旗本はそうではありません。
岡村ハカセ「旗本はずっと江戸にいますから、その代わりに陶器を治める代官の仕事をまかされたのが、大庄屋兒山家だったのです」
兒山「本家が代官をつとめることになったので、大庄屋の仕事を行うことになった分家のために、この建物が建てられて東兒山と通称されたのです」
岡村ハカセ「この家の屋根の軒が大きく出ているのもきっと庄屋だからで、雨の日でも作業が出来るようにですね。地域の方が集まってここで作業をしたのでしょう」
――江戸時代にこの近くで暮らしていた人たちが作業していたのと同じ場所で、僕らもおしゃべりをしているんですね。

 

▲大きな軒(のき)。雨の日でもたくさんの人で作業ができそうです。

 

しかし、時はながれ、歴史をつみかさねたお屋敷にも、危機が迫ります。

 

■古民家ミュージアムをつくろう!

 

▲兒山家住宅の隣の兒山家本家のおやしき跡には、巨木と小さなお堂、土壁だけが残る。

 

時代をワープして、お話は現代へと飛びます。
くらしはすっかり昔とかわってしまい、古いお家もどんどん姿を消し、風景もかわってゆきました。
2001年に、陶器地区の代官だった本家兒山も、時代の流れの中でその姿を消してしまいます。通称「東兒山」と言われたおうちよりも更に大きく歴史も古かった兒山家の屋敷がなくなり、江戸時代から続いた風景も姿を変えてしまったのです。

 

▲広いおうちのおそうじをするだけでも大変です。

 

松尾「古い建物を維持していくのは大変です。手もかかるし、お金もかかる。屋根や土壁の補修に100万円単位のお金が飛んでしまう」
――うわー。それにこれだけの広いお家ですから、普段のお掃除だって一苦労でしょうね。
松尾「そんな時でした。ご近所の方がうちに訪ねてこられたのは」
――一体どんなご用だったのですか?
松尾「その方はこうおっしゃったのです。『建物や土地は個人のものだけど、風景はみんなのもの。この風景を守るために何かできないかしら?』と。『お掃除だけでもさせてください』
――簡単に言えることじゃないですよね。それだけ地元のかたが、この古いお家のある風景を愛してくれていたんですね。

 

▲2002年には兒山家住宅は国の登録有形文化財に登録されます。

 

松尾「そうして掃除からはじめると、大きな納屋(なや)から古い農具がたくさんでてきたのです。それを堺の地域史研究家・中井正弘さんに見ていただいたところ、地域の人と一緒につくる博物館にしてはどうかと提案されたのです。そうして生まれたのが『ナヤ・ミュージアム』です」

 

 

――納屋の中には。色んな農具が展示されていますね。このめちゃ大きい奴はなんですか?
松尾「これは唐箕(とうみ)といって、穀物を脱穀(だっこく)したあと、もみ殻(もみがら)や藁クズ(わらくず)を吹き飛ばして選別する機械です。色んな重さのものを選別できるように調節できるんですよ。これができる前は箕(み)という手で振る道具でふるったり、息で吹き飛ばしたりして大変だったようです。堺は『もののはじまりなんでも堺』といいますが、この地域でも新しい道具をすすんで取り入れていたようですね」

 

 

――この天井につんであるものはなんですか?
松尾「あれは蚕棚(かいこだな)です。このおうちでも蚕(かいこ)を飼っていたのです」
――蚕って、蛾の幼虫の蚕のことですよね。あの糸を吐く。
松尾「そうそう。絹糸を作るです。この地域でも養蚕業(ようさんぎょう)が盛んだったのですね。私たちも実際にを飼って、糸をとる実験もしてみたのですよ」
――へーその成果がこの展示なのですね。

 

▲壁につかう焼き板も、専門家に教わりながらワークショップでDIY。

 

松尾「他にも土壁焼き板作り、庭や屋敷周りの木の剪定(せんてい)作業も、地域の人と一緒に専門家の方に教わりながらワークショップ形式でやっています」
――うわー。それは究極(きゅうきょく)のDIYワークショップですね。ワークショップ『古民家ミュージアムをつくろう!』ですよ。
岡村ハカセ「実はワークショップは兒山家の中だけではないのです。次は外を見にいきましょう」

 

■この田園風景を守りたい

 

▲左が『楽畑』の畑。岡村ハカセの後ろに見える瓦屋根が兒山家住宅です。

 

岡村ハカセに連れられて、兒山の敷地からさらに段々をあがると、そこには畑が広がっていました。
松尾「この畑もみんなで作り上げたものなのです。2008年に伝統野菜プロジェクト『楽畑』を立ち上げて、地域の伝統野菜づくりにチャレンジしはじめたのです。兒山家は戦後に農業はやめていましたから、みんな素人の集団で最初は大変でした」
――でも、立派な畑になってますよ。

 

▲みよ! つやつやのナスビを!

 

兒山「ええ、専門家の先生に指導していただいたりして、無農薬・有機肥料でがんばっています。いまではメンバーのアイディアで『畑塾』という農業教室を立ち上げて一般に塾生を募集して5年目になります。夏と冬には収穫祭をして、夏はBBQ、冬は芋煮会をして、2月には天王寺かぶら田辺大根を使って干しかぶら、干し大根作りをしています」
――本格的だし、楽しそうですね。

 

▲右端の女性が、「畑塾」を提案したメンバーの石川さん。

 

松尾兒山家の住宅だけがビルの谷間にあっても仕方がないでしょう。この田園風景を残そうというのがこの活動です。『ナヤ・ミュージアム』というのは最初は博物館というだけのことだったのですが、今では『楽畑』を含めた大きなプロジェクトといえるのではないかと思います」
――なるほど『古民家ミュージアムをつくろう!』どころか、『田園風景をつくろう!』だったんですね。めちゃくちゃ壮大な活動で驚きました!

 

さて、ここでぶらさかいクイズです。
『ナヤ・ミュージアム』に展示されている沢山の農具。その多くはいまでは使われなくなっているものです。

 

▲この銀色の道具を使って栽培する作物はなんでしょうか?

 

さて、この写真の農具は一体なにを栽培するために使ったものでしょうか? それがクイズです。それは陶器藩のころから陶器地区で作られていて、兒山さんや岡村ハカセが子どものころにも盛んにつくられていたそうです。
松尾「××の葉っぱをとったらお巡りさんに怒られるんちゃうかなと思ってドキドキしながら葉っぱをちぎった思い出があります」
さて、この作物とは一体何?

 

さかマガ12月号 11/16発行!!
さかマガ12月号 11/16発行!!