【ぶらっと堺をあるこう!】『ぶらさかい』中区・陶器(とうき)篇6「陶器を一望する池のほとり」:

らりぶらりのぶらり歩きで堺を楽しもうとはじめた【ぶらさかい】中区陶器篇も6回を数えて、今回がシリーズ最終回です。案内はおなじみ中区の物知りハカセ、岡村理良さんです。

さて、前回は元タバコ農家岸田さん宅を訪ねました。ここでのぶらさかいクイズは、岸田さんの畑から。岸田さんの畑には神さまがいらっしゃるという話でした。畑のあぜにいってみると、小さな祠(ほこら)積んだ石がありました。このどちらが神様でしょう? というのがクイズでした。

 


――岡村ハカセ、どちらが神様なのでしょうか?
岡村ハカセ「答えは、この積んだ石の方です!」
――あーシンプルな方が正解かぁ。この石は一体なんの神様なのでしょう?
岡村ハカセ賽の神様(さえのかみさま)です。道祖神(どうそしん)ともいいますが、集落や家の敷地の境にいて、悪いものが入ってくるのを防いでくれる神様です」
岸田「昔は、もっとあってんけどな」

 

▲岡村理良ハカセ(左)と岸田光雄さん(右)。

 

――そうですかぁ、道祖神なんですね。そういえばなんとなく男性のシンボルっぽい感じもしますね……。じゃあ、いかにも神様をまつっている風な祠の方はなんなのですか?
岸田「こっちは、みぃさんやな」
――みぃさんって?
岡村ハカセのことです」
――うひゃ。に出会わないうちに、次行きましょう、次に!! 岸田さん、貴重なものを見せていただいてありがとうございました!

 

■行基のお寺が小学校に

 

――お寺につきましたね。岡村ハカセ、ここはなんというお寺でしょうか?
岡村ハカセ月輪時(がちりんじ)というお寺です。このお寺は、行基(ぎょうき)が作ったお寺だといわれています」
――おお、歴史のあるお寺だったのですね。行基って、あの行基菩薩(ぎょうきぼさつ)ともいわれるめちゃ有名なお坊さんですよね。

 

▲西区家原寺にある行基像。

 

岡村ハカセ「はい。奈良の大仏を作ったことで有名な奈良時代のお坊さんです。行基は堺市の中区と西区にまたがる八田荘で生まれ、たくさんのお寺を建てたり土木工事をしました。中区には行基が母の日のために造った華林寺(けいりんじ)月輪寺や福田の興源寺など行基の創建と伝わる寺など行基が作ったとされるものがたくさんあります。多くの貧しい人を救い、日本ではじめて大僧正というお坊さんの最高位についた人なのですよ」
――とてつもなくえらい人なのですねぇ。

 

▲「日本のピラミッド」こと「土塔」。行基と彼に従う人たちが団結の証として作ったのではないかといわれています。

 

岡村ハカセ「お寺自体は、もともとは中区の見野山(みのやま)にあったようです。お寺で合図のためにならす喚鐘(かんしょう)などに『蓑山』と書かれているのですが、これは今の見野山のことのようです」
――昔は違う漢字だったというのも面白いですね。いつごろお寺は陶器に移ってきたのですか?

 

▲月輪時の鐘をのぞき込む岡村ハカセ。

 

岡村ハカセ「江戸時代のはじめのころに火事があって、元禄年間(げんろくねんかん 1688年~1704年)に陶器のこの場所に移ってきたようですよ。前々回に訪問した大庄屋(おおしょうや)の兒山家(こやまけ)とはすぐご近所なのですが、兒山家から涅槃図(ねはんず)が贈られたりしているそうです」
――涅槃図て、お釈迦様(おしゃかさま)が亡くなるときの絵ですよね。いろんな文化財が残っている由緒あるお寺なのですねぇ。

 

▲江戸時代に陶器藩の大庄屋をつとめた兒山家。

 

岡村ハカセ「そして月輪寺に来てもらったのは、もうひとつ理由があるのです。実は明治時代になって、月輪寺は別の使われ方をするようになります。さて、それは何でしょうか?」
――え、クイズですか? うーん、なんでしょうか。わかんないですね。
岡村ハカセ「江戸時代にも似たようなことはしていました。この月輪寺だけでなく、いろんなお寺で子供相手にしていたことです」
――お寺で子供相手にしていたことって……あ、寺子屋(てらこや)だ!

 

▲月輪寺のお堂。歓喜天(かんきてん)さんですね。

 

岡村ハカセ「そうです。江戸時代は寺子屋で読み書きそろばんを教えていたのですが、明治5年(1872年)に『和泉国第三区郷学校』が仮設開校されます。この郷学校(ごうがっこう)が今中区にある小学校、東陶器・西陶器・深阪・福田各小学校の前身になっているのです」
――明治5年ですか。ずいぶん早い時期に学校を作ったんですね。
岡村ハカセ「そうです。この月輪寺は、陶器近代教育発祥の地といえると思うのです」
――なるほど、ここで子供たちが教育を受け未来を切り開いていった。その最初の第一歩はこの月輪寺からと考えると、それは大切な場所になりますね。
岡村ハカセ「では、いよいよ、陶器の最後の場所へ向かいましょう」
――ついに最後の場所ですね。楽しみです。

 

■地域の歴史を一望する

▲阿弥陀池のほとりから、中池、老池を見おろす。その先にかすんで見えるのは工業地帯。

 

 

――すごい見晴らしのいい場所ですね。棚田みたいに上下に池があって、ここから海の方まで見えますよ。岡村ハカセ。ここはどこですか?
岡村ハカセ「ここは阿弥陀池(あみだいけ)です。バスの停留所があるので聞いたことがあるんじゃないでしょうか?
――あ、あります、あります。『あみだ池ゆき』って、どこだろうと思っていたら、ここだったんですね! ここの注目ポイントはなんでしょうか。
岡村ハカセ阿弥陀池にはいくつか見てほしいポイントがあります。まずはこの阿弥陀池そのものですね。【ぶらさかい】の第1回から第2回で、須恵器(すえき)を運ぶのに陶器川(とうきがわ)が使われたという話がでましたよね。でも、船で運ぶにしても陶器川って、ずいぶん細い川だと思いませんでしたか?」
――はい。船を浮かべるのは難しそうだなと思いました。

 

▲現在の陶器川は船を浮かべるには、水量が足りなさそうです。

 

岡村ハカセ陶器川も昔はもっと水量が多い川だったはずなんです。それが、上流に阿弥陀池のようなため池が作られたことで、今のような水量になってしまったのだと思われます」
――そうか、阿弥陀池は人工の池なんですね。一体いつごろ作られた池なのですか?
岡村ハカセ「以前、ガイドウォークをした時に同じ質問をされて、いろいろ調べたのですが、よくわかりませんでした。ただ、このあたりのため池は江戸時代に農地の開墾が行われたときに作られているので、今のような形になったのは江戸時代ではないかと思われます」

 

▲上流にある阿弥陀池。

 

――福田に農地をつくった福島屋次郎兵衛(ふくしまやじろべい)さんの話も教えてもらいましたよね。福島屋さんが作ったから、福田っていう名前になったって。
岡村ハカセ「そうです。地名といえば、このあたりは『隠』(かくれ)という集落名なんです」
――なんですか、そのカッコイイ地名は! ニンジャっぽい!
岡村ハカセ「これはいろいろ説があるのです。大きな七本松が生えていて、陶器から見ると金剛山を隠すほどだったからという説。年貢を逃れるためにこっそり作った隠田があったからという説。変わったところでは、大坂夏の陣の時に、堺の町を焼いた大野道犬(おおのどうけん)という武将がこのあたりに隠れていたからという説もあります」
――大野道犬って、そのあと捕まって焼き殺された人ですよね……うひゃぁ。

 

▲阿弥陀池の向こうに湯山古墳があった。

 

岡村ハカセ「そして、もうひとつここで見てほしいというか知ってほしいのは、無くなってしまった古墳の話です。阿弥陀池の向こうに湯山古墳という円墳がありました。この地域を見下ろすシンボル的な古墳で、地域の人が古墳の上で遊んだりして親しまれていた古墳だったようです。しかし、臨海工業地帯(りんかいこうぎょうちたい)を作るときに、古墳を削ってその土砂を埋め立てに使ったのだそうです。古墳の跡地は、工場になりました」
――えーー地域の大切な古墳を埋め立てに使っちゃたんですか、残念ですね。
岡村ハカセ「そういう時代でした。古墳からは朱塗りの石棺が掘り出されて、堺市博物館にレプリカが作られているそうですが、その時に出てきた石棺は湯山の跡地の工場の『神域』と呼ばれる場所に残され、工場の安全を守るために毎月ご祈祷も行われているということです」

▲湯山古墳から出てきた石棺は、今でも古墳の跡地の工場内に残され『神域』とされている。

――『神域』ってすごいですね。しかも毎月ご祈祷ですか! せっかく素晴らしいものがあっても、たくさんの人が価値がある、大切だと思わないと残していくのは難しいのですね。【ぶらさかい】でも、もっと地域の魅力を伝えていきたいですね。
阿弥陀池から眺めると、下流に二つのため池が見え、陶器川へとつながります。陶器川兒山家ナヤ・ミュージアムが地域の人と一緒に守ろうとしている田園風景を通り、古墳時代に須恵器を作った登り窯や、須恵器づくりの集団のリーダーたちが眠る陶器千塚を抜けて、石津川に合流し堺の海へと注ぎ込みます。かつては茅渟の海(ちぬのうみ)と呼ばれた堺の海は、湯山古墳などを削って作った土砂で埋められ工業地帯になっています。阿弥陀池のほとりからも、工業地帯の大きな煙突がかすかに見えます。
阿弥陀池から見えるこの風景には、千数百年の陶器の歴史がぎゅっと詰まっているようです。陶器にお住まいの方だけでなく、中区区民、堺市民にも見てほしい風景でした。
中区陶器篇の締めにはぴったりの場所でしたね。

――【ぶらさかい】中区陶器篇いかがだったでしょうか。予想外に長くなってしまいましたが、それも岡村ハカセの地元愛のつまった案内のおかげと、そもそも陶器が魅力たっぷりな地域だったからだと思います。岡村ハカセありがとうございました。
岡村ハカセ「陶器地域の面白さに興味をもっていただいたようですね。かつての陶器地域は今は泉北ニュータウンとなっている高蔵など、もっと広い地域をさしていました。今回は東陶器地域を中心に案内させていただきました。この地域を知れば学校で学ぶ歴史の教科書がもっと理解が進む地域です。私は陶器地域を『フィールドミュージアム』にと思っています。ガイダンス施設さえあれば、誰もが自分の地域に誇りを持てるし、他の地域の市民の方もたのしめ、外国から来た人たちにも興味を持って見てもらえる地域になると思っています。ちょっと『地域愛』に過ぎますがいかがでしょうか。
中区には陶器地域以外にも歴史的な魅力にあふれた地域がたくさん有ります。『地域愛』にあふれた知り合いもいますので、一緒に『ぶらさかい』してください」
――みなさんありがとうございました!

 

【次回予告?】
中区陶器篇を終えた【ぶらさかい】ですが、いかがだったでしょう。さて【ぶらさかい】が次に行くのはどこのまちでしょうか……!?

さかマガ11月号 10/19発行!!
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